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ニューヨーク発、知られざるホンモノの日本語ラップ。

日本語ラップの歴史はいとうせいこうの「業界こんなもんだラップ」から始まった。

…というのは音楽業界の通説だが、その曲がリリースされた1985年以前にもラップをやったアーティストは複数いる。ただそれらは『歌謡ラップ』というカテゴリーに入れられがちだ。いとうせいこうと何が違うのかというと、【ラップを取り入れた曲】なのか、【ヒップホップをやった曲】なのかの差で、後者であるのいとうの曲には当時(RUN DMCとかデビューした頃)のNYのヒップホップの影響が明確にある。いとう以前のいわゆる歌謡ラップは七五調(あなたのお名前なんて〜の?的な)のものが多かったのだが、そこから脱却したある程度のフロウとスクラッチを加えたのがこの「業界こんなもんだラップ」だ。アップだけではないトータルしてのヒップホップなので、日本語ラップではなく『国産初のヒップホップナンバー』と呼ぶ方が正しいだろう。

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がしかし、その前年1984年にも見捨てておけない1枚のレコードがある。イラストレーターの奥平イラが結成した音楽ユニット、イラマゴの「TYOロック」がそれだ。他のメンバーはYMOの元マネージャーでありフリーのプロデューサー生田朗、実験音楽的バンド:マライアを率いていた清水靖晃。1980年YMOのワールドツアーに同行して各コクのミュージシャンと交流を持っていた生田朗のコメクションにより。イラマゴのプロデューサーにビル・ラズウェル(マテリアル)を起用した。実はこのビル・ラズウェルはヒップホップミュージックに多くな礎を築いた重要人物の1人である。

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『セルロイドレコード』のプロデューサーでもあるラズウェルはヒップホップオールドスクール期にグラフィティライター:ファブ5フレディをラッパーとして起用し「チェンジザビート」をリリース。曲のラストのセリフ「This stuff is really FRESH」は宇宙で最も多くこすられているスクラッチネタとして知られている。セルロイドはファブ5フレディの他にもフューチュラ2000やPHASE2といったグラフィティライターレジェンドのレコードをリリースしている。またフューチュラ2000のラップのバッキングをザ・クラッシュが作曲演奏していたり、アフリカバンバータのユニット:タイムゾーンはジョンライドンをフィーチャーしたり、パンク・ニューウェーブ方面との繋がりもセルロイドレコードの特徴である。1983年にラズウェルはレーベルお抱えDJ:グランドミキサーDSTを起用してジャズ・フュージョンプレイヤーのハービーハンコックをプロデュース。完成したエレクトロヒップホップアルバム「フューチャーショック」から代表曲「ロックイット」がシングルカットされグラミー賞を受賞。DSTのスクラッチングは全世界にTV中継され、レコードをこすって演奏するというヒップホップの衝撃的な一面を全世界に知らしめる事となった。

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ここで話は戻る。そんなビル・ラズウェルをプロデューサーに迎え、DSTのスクラッチをフィーチャーし1984年にリリースされたのがイラマゴの「TYOロック」なのだ。ラップをしている奥平と生田のフロウは七五調で決してかっこいいとは言えないが、バックがほんまもんのヒップホップなのだから『歌謡ラップ』にこの曲を入れるのは勿体ない。オールドスクール好きな人にはせめて名前だけでも憶えておいてもらいたい。

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text by ダヨーン