伝説の映画『ワイルドスタイル』に関わった日本人と裏番長
ヒップホップの4大要素(フォーエレメンツ)といわれているのは『DJ』『ラップ』『ブレイクダンス』『グラフィティ』だが、元々同じ文化ではなかった。特にグラフィティに関しては今なお「別の文化だ」と主張するパイオニア達もいる。しかし、サウスブロンクス周辺の直径7マイル圏内で生まれ熱狂的に育ったこれら4つの文化は、すべてが間違いなく同居していた。それらファミリーとなった頃の生々しい姿を「ブロンクス版・ウエストサイド物語」的に記録した映画が『ワイルドスタイル』である。
監督のチャーリーエイハーンはブロンクス外部の白人で。ブロンクスに訪れた際に見つけたLEEによるグラフィティに魅せられてしまった。彼はLEEを主人公にしたグラフィティの映画を撮りたいと思っていたところ、LEEと同じクルーのライターであるファブ5フレディと知り合い、彼にLEEを紹介してもらうと同時に「ラップミュージックとグラフィティを融合させた映画を撮ってはどうか」という提案をされる。そしてファブ5フレディの原案を基にして『ワイルドスタイル』は制作された。
映画は1982年の木に完成したがなかなか配給会社が付かなかった。翌83年にカンヌ映画祭に出品し、やっと決まった配給会社は日本の大映だった。買い付けたのはカズ葛井という日本人映画コーディネーター。ヒップホップという日本人にとってみちのカルチャーを紹介すべく、彼がワイルドスタイルの宣伝プロデューサーとなる。世界で最初の配給元になったためプロモーションのひな形がない中でまず最初に思いついたのが、出演者を日本に連れてきて実際にパフォーマンスを見せこと。笑っていいとも!、タモリ倶楽部、11PMなどのTV番組に出演したり、クラブ・ディスコでのライブパフォーマンスのほか、西武デパートで催される『ニューヨーク展』のイベントにも出演した。さらにヒップホップカルチャーを詳しく紹介する書籍と、映画のサウンドトラックを入れたカセットブックを発売。この時点においてもまだアメリカでの配給会社は決まっておらず日本がワールドプレミアだったため、日本で作ったポスターやカセットブックが宣材としてアメリカでも使用された。そのカセットブックは現在MoMA(ニューヨーク近代美術館)のコレクションとなっている。しかしそこまで力を入れたプロモーション活動も虚しく、実際日本でワイルドスタイルに関心を持った人達が集まったのは、来日したクルーの実際のパフォーマンスが観られたイベントやライブの方が多く、映画館の総動員数はさほど多くなかったという。
そんな伝説の映画『ワイルドスタイル』だが、一部パイオニアの間では「あんなクソ映画はFAKEだ」という声もある。グラフィティライターのPHASE2がその1人だ。PHASE2はヒップホップパイオニアの中でも特に珍しい、フォーエレメンツ全てに携わった人物であり、本当にレジェンドと言えよう。エイハーン監督は映画を制作するにあたり、最初PHASE2にも協力を要請した。ファブ5フレディ演じるPHADEという役名は彼に因んだものである。グラフィティにおいてバブルレターを発明し、前回紹介したセルロイドレコードからは12インチをリリース、そして何よりアールデコ調のヒップホップフライヤーを最初にデザインしたのがPHASE2だ。しかしおそらくPHASE2はレジェンド過ぎて相当口うるさかったのだろう。制作陣がそっと身を退いて出演には至らなかった。映画『ワイルドスタイル』と、その真裏に君臨するPHASE2。オールドスクールを語る上ではどちらも押さえておきたい。
ワイルドスタイルプロモ来日の時に出演したTV番組が見れます見られます。他のページもやばすぎる↓
http://tosakenchannel.com/movie-1994/rocksteadycrew/
text by ダヨーン
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